ある夢想家のブログから

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風俗嬢の人生相談に付き合ってあげる僕の友人に驚かされる

 毎日毎日、気が付けば別れた元彼女のことを考えてしまっている時が必ずある。以前このブログに書いたが、僕から積極的に彼女のことを求めたことは一度も無かった。こんな自分を好きになる人間が世界に存在することが怖かったし、身体の接触を求められるとゾッとした。何よりもその人は年上だった。僕は年上の人間を対等な恋愛関係で結ばれるべき対象と考えることがどうしてもできない。要するに年下の女の子しか愛することができないのだ。もう20代も折り返しに入ってしまっているが、自分と同い年の女性を見てもオバサンだなとしか思わない。それを言ったらお前もオッサンだろと言われそうだけどそこは素直に認める。とにかく僕は年下の女の子しか愛することができない。犯罪者にはなりたくないので三次元には手を出さない。結果的に二次元美少女にしか恋愛感情を向けられない人間になった。

 

 そりゃ僕も今の格差社会、持つものが持たざる者を搾取することで成り立っているクソみたいな資本主義社会は絶対に許せないし、人は人に優しくする必要があると思っているし、困っている人には手を差し伸べるべきだと考えてる。これは嘘じゃない。だがしかし、自分の性愛に口を出されたり必死の思いで自分にとって一番気持ちがいい状態を作り上げているその領域に土足で踏み込まれたりするのだけは耐えられない。具体的に言えば僕が自分から招き入れた二次元美少女以外はそこに入ってこないでくれということである。困窮して死にそうな人がいたらそれがどんな人でも助けてあげたいと思うが、しかし物質的に困窮してるわけでもなくむしろその点については恵まれてるし少なくとも問題はないのに、異性関係うんぬんで拗らせていて辛いとか言われても、それはカウンセリングに行ったりして対応してくださいね(巻き込まないでくださいね)となってしまうのが僕である。前付き合っていたオバサンと別れてからその傾向がますますひどくなった気がする。少なくとも以前は現実の人間をできれば愛したいという思いがあったのだが(だからこそ元々恋愛対象ではない年上の人間と付き合うなんてことをしたのである)、それも今やなくなってしまった。かといって自分の理想の二次元美少女を探求しにいろんな作品に触れるつもりももはやなくて、過去にやった作品でビビッときた子たちに安住してしまっている感はあるのだが。

 

 それに引き換え、僕と同い年の友人はまったくすごいとしか言いようがない。とある風俗街で出会った風俗嬢から過去に付き合っていた(?)年下の男が憎くてたまらないという話をされ、今にもそいつを〇して自分も〇ぬくらいのことを言っているから毎日のようにメールでやり取りをし、隔週ペースで会っているらしい。もう、お前そのモチベーションがどこから湧いてくるんだよといった感じである。僕だったら毎日そんな赤の他人から自分の性愛の問題について相談を受けるなんて絶対に耐えられない。そこまで親身になって考えてあげられる友人が本当にすごいと思う。でも考えようによっては僕のような無産者が他人のために何かできることがあるかといえば、やっぱり個人的な対人関係の相談に乗ったり、愚痴を聞いてあげたりといったことしかないんじゃなかろうか、とも思えてくる。その相手が同性でなければならず異性であってはならないというのは、僕の根本的な部分に他者に対する恐れがあることから来ているんじゃないだろうか。男性と女性の関係が最終的に身体的な交わりに行き着かなければ嘘だ、なんてのは明らかに男性が女性を所有することを正当化する家父長制イデオロギーを無自覚に前提してしまっている。男性にも女性にも等しく人間として扱われる権利があると見るならば、別に身体的な交わりなんてものは最終的なゴールではないはずだ。

 

 まあいくら綺麗言を言ったところで僕が拗らせに拗らせた結果女性との偏見や先入観に基づかない関係を築けない人間になってしまっていて、またそこから抜け出すことができないことに変わりはない。そもそも普通に生活している限りで女性との友達付き合いなんてのが始まることがないんだからな。女性との恋愛が実質的に現実において不可能であるとしてもそこはなんとかしたい。苦しい。