ある夢想家のブログから

哲学とか語学とか読書とかエロゲーとか

思うように勉強が捗らない

 5月に突入してしまったのだが、思うように勉強が捗らない。英語とフランス語を一日5時間ずつ勉強しようと考えているのに、今日は英語を4時間しかできなかった。そのうえその英語もノルマに達しなかった。

 

 5・6月のうちに英語では伊藤和夫『英文解釈教室』(こちらは例文のみ)篠田重晃『英文読解の透視図』を、フランス語は川本茂雄『フランス語統辞法』朝比奈誼『フランス語和訳の技法』を終わらせて、7・8・9月は哲学の原文読解と哲学の学習を並行してやろうと思っているんだけど、正直どうなるか分からない。8月中に研究計画書を書いて提出しなきゃならないということもあるし、先行きは不透明だ。そもそもコロナのせいで院試が中止になってしまう恐れもないとはいえない。

 

 文系の大学院、それも哲学科に行きたいという変わり者はなかなかいないから、院試に受かった落ちたという体験談やデータがそもそも見当たらない。院試なんて簡単なんだからどうせ受かるでしょ、と大して事情を知らない人がよく言っているが、僕が入ろうとしているところは英語と他の言語を一つ選択する必要がある。つまり二つの言語にある程度通じていることを求められるのだ。おまけに哲学の知識も必要になってくる。本来なら学部で3年間かけて鍛え上げるこれらの基礎学力を1年足らずで身に着けるって結構厳しいんじゃないかと思うんだけどなあ。哲学科の院試に落ちた人、一人知ってるし。

 

 などと愚痴っても始まらないので勉強はしっかりやろう。でもそれをやれるだけの精神的余裕がない日だってどうしてもある。今日がそうだった。何故なのかは分からないけどとにかく精神的に落ち込んでしまう。そして酒を飲みたくなってしまう。現に今も飲んでいる。精神的に落ち込んでいる時に酒を飲むのはよくないし、しかも身体にも良くない。なのにどうして飲んでしまうのか。

 

 僕が自分の人生でやりたいのは酒を飲むことだったのか?いやそうじゃない。僕は主体的真理を追求するキルケゴールの熱誠に感動し、常に状況にengagerしていこうとするサルトルの時代に応答せんとする主体的で他者に対して開かれた態度に心を揺さぶられ、自分もそのように自己に対して、他者に対して、世界に対して誠実であろうとして哲学の道を歩もうと決めたのではなかったか。だが今の僕はどうだろう。精神的にとても打たれ弱く、すぐにこうして精神的に落ち込んで酒に逃げてしまう。僕の人生はこんなことの繰り返しで終わってしまうのだろうか。僕は世間様から認められる知識人様になりたいわけでもないし、もちろん社会で成功したいわけなんかじゃない。自分の人生を何らかの形で意味あるものとして生き抜きたいんだ。でもそれがどれほど難しいことか。何せそれをどのように実践していけばいいのかを指し示す確固たる光明といえる何か、その何かをちっとも見出せないでいるのだ。僕は未だに自分の人生を生きるためのスタートラインにすら立てていないのではないか。一体いつになったらそこに立つことができるのだろうか。それとも僕はそうした使命感にも似た情熱を忘れ、外的な力に突き動かされて疎外された労働に順応するようになり、そこで一時の気晴らしを頼りになんとか生き延びて力尽きるような生を送るのだろうか。怖い。怖くてしょうがない。しかし、もしかしたらこの不安こそが生きるということなのではないか。