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30分点検読書 五冊目:アニー・コーエン=ソラル『サルトル』(石崎晴己訳、文庫クセジュ、2006年)

※30分点検読書とは→モーティマー『本を読む本』に書いてある点検読書その1「組織的な拾い読み、または下読み」を30分でやる練習。

 

アニー・コーエン=ソラル『サルトル』(石崎晴己訳、文庫クセジュ、2006年)

1.どんな種類の本か

 サルトルの評伝。文庫サイズでほどよくコンパクトにまとめられている。

 

2.全体として何を言おうとしているのか

 サルトルとは、教義ないし作品系である以前に、一つのモデル・一つの実践として捉えられるべきである。さまざまなテクストや彼の行動を一つの有機的な全体として示そうとする試みがなされている。またサルトルとは反権威的である限りにおいて全体化の作用を果たす知識人であり、アルジェリア戦争へのアンガージュマンに見られるように抑圧された者の側に立とうとし続けた。

 

3.そのために著者はどのような構成で概念や知識を展開しているか

 実際に生前のサルトルと知り合いであった筆者は伝記的事実を主軸としてこの知的巨人の全体像、少なくともその輪郭を提示しようとしているようだ。一読した後で目次を見てみても、サルトルを小説家や哲学者といった一つの型に当てはめて語るのではなく、それらをサルトルという全体のなかの一つの契機と捉える筆者のスタンスが伝わってくる。

 

本の感想

 結論部分を読んでみても、哲学者や小説家といった枠にとどまらず、常にそうした枠に囲い込まれることを拒否しようとしつつ、だからこそ哲学者や小説家でもあったサルトルという筆者の理解が提示されていて、これは僕の持っているイメージとかなり重なり合う部分が大きい。ただ、全体全体と言う前にその各部分への理解が先だっていなければならないというのは確かに言えることであって、僕に欠けているのはその点だと思った。印象に残った名詞を適当に書き出してみるだけでも、アメリカ小説・映画・マルクス主義毛沢東主義現象学・ブランシュヴィック・ソクラテスフランス共産党マラルメヤスパース等々と多岐にわたっておりその活動の全貌を知るには相当な領域をカバーしなければならないことが分かってくる。その点でそのすぐ後に出てくる(実はサルトルの生前に皆登場していて同時代人だといえるのだが)フランス現代思想の面々の先駆者であったといえるだろう。サルトルが実存哲学をベースにしていたってことはほぼ間違いないと思うけど、それを前提として常に変化し続けたその全体像を捉えるにはどうすればいいのか。途方に暮れるが是非ともやってみたいと思った。

 

30分点検読書の感想

 先日読んだ少年Aの両親の手記と同様、一人の人物を主題とした評伝であり、点検読書で掴むべきなのはその人物を一言で表すとすればどんな人なのか、という点だろう。結論部分を見つけてそこを掴めたからまあ点検読書としては成功ではあるかな。ただ、評伝というのはその人の人柄が表れている逸話だったり意外な人物との交流を表すエピソードを楽しむものだと思うから、この人はこういう人だったんだよと言うだけではやはり物足りない。点検読書だから物足りなくていいんだと思うけど。